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「現在の私の治療ついて その2」 [乳がんつれづれ日誌]

2月8日(火)
皆さま、お元気でしょうか?
現在、ミネットの実店舗はお休み中です。
ネットショップはのんぴり再開しましたので今はネットショップにてお買い物を楽しんで頂ければと思います。
ご不便をお掛けしますがご協力よろしくお願いします。
https://www.minette72.net/

昨年末の入院から現在の私の治療を記しておきたいと思います。

12月23日(木)緊急入院となりまして1月6日(木)まで2週間の年越し入院となりました。
後半の抗がん剤治療5回目から薬が変わり、体調がかなりしんどくなって来てはいました。
その頃から呼吸がかなり上がるようになって階段とかを上がると横になって休憩するようになっていました。
その後の受診の度に呼吸がしんどいのでCT、レントゲン、心電図、酸素飽和度も検査しても異常な数値は出ずでした。

6回目の抗がん剤治療は一度中止となりましたが中止後の2日後に抗がん剤治療の点滴を受けました。
6回目の抗がん剤治療の一週間後に状態を見てもらう為、受診したのですがこの頃がこの治療が始まってから一番シンドイ時期でした。
もう自力で運転して病院には行けなくて、その日はタクシーで病院まで行きました。

あまりにしんどすぎて病院で泣いてしまった。恥ずかしい・・・。
この日は待ち時間もすごく長くてグッタリしていたせいもありですが。

この日もこんなにしんどいのにCT、レントゲン、心電図、酸素飽和度には反映されず・・・点滴をして帰りました。
お店は定休日含め4日間お休みしました。

マックスしんどい時は脱したものの咳も止まらず、呼吸が上がるのは変化なく、入院前日に受診した時にCT、レントゲン、心電図、酸素飽和度にやっとと言うか?異常が出て、肺炎になっていると言われました。
私的には「今???」と言う感じでもっと2週間前の方がしんどかったよ~と。
その日も「入院とかどう?」と先生からは言われたので一瞬、入院???とは思いましたが「集中して治療して楽になるなら入院でも」と答えたと思いますが結局翌日に循環器科の予約を入れて受診することに。
もう中待合室から診察室に入るまで近距離でも息が上がっていた。
呼吸器科の先生から「入院して検査をして治療しませんか?」と言われて入院に。
抗がん剤治療による「間質性肺炎」ではないかと。

乳腺科に戻り、入院の荷物用意したいので一旦家に帰りたいと伝えると、このまま入院ですと言われて・・・着の身着のままでの入院に。
車を病院の駐車場から移動しなくてはいけなくて、お店近くに借りている駐車場まで停めて病院に戻ることに。
でも何か1時間後に戻って来てほしいと言われ・・・何でそんなに急いでいるのかわかんなかったけど???
大慌てでタクシーで病院に戻ると看護師さんが走って来られてお昼ご飯とかお茶買ってきておくからと言われ、後で行きますと伝えたけど・・・買ってきますと。
何でこんなにバタバタ急がれていたのかな???
そんなこんなで緊急入院となりました。
年内には帰れると思っていたから、入院診療計画書に入院期間約2週間と見た時には・・・そんなに???と言う印象でした。

月末だったから家賃や仕入れ先の支払いもあるのに・・・とは思ったものの病院からメールで連絡を入れて退院後にお支払いすることに。ご迷惑をお掛けしました。

入院翌日に気管支内視鏡検査をしました。
咳が出ていたので気管支に内視鏡入れてどうなるのかしらとちょっと不安に。
検査の前に気管支に麻酔をしたのですがその器具?がアラジンと魔法のランプ?と思うような謎な形でもっとじっくり観察したいところでしたがそんな間もなく口から麻酔薬?を何回かに分けて流し入れられました。
喉の奥が麻痺してきて息をするのがちょっとしんどくて怖い~!と思っているのも束の間、横にさせられて口に何かはめられて・・・そこらへんから記憶なし。
後で看護師さんに検査した記憶がないんですけどと言うと、意識が遠のいてから検査するからと言われました。ビックリ!
でも検査後に病室に戻るまでも気管支に刺激が与えられたから咳が更にひどくなって止まらず涙がポロポロ。

病室に戻り、酸素チューブを鼻から入れてもらい、いつの間にか寝ていて少し楽になりました。
4人部屋のトイレに近いベッドだったけれど、トイレに行くときには酸素チューブを外していくのですがたった1.5mで息が上がるという・・・。
延長チューブを追加して下さってトイレに行くのも酸素チューブ付けたままとなりましたがトイレに斜め前のベッドだったので私がチューブ付けたままトイレに行った時に他の患者さんが引っかかると危険なのか?トイレ真横の部屋に移動することに。

点滴治療も始まり、日を追うごとに呼吸は楽になりはじめました。
ただシャワーも最初の頃は酸素ボンベと一緒でした。

徐々に歩く距離も伸ばせるようになり、一階の売店にも休憩しながらではありましたが行けるようになりました。
点滴治療も飲み薬に変わり、呼吸も更に楽に。

病院食はクリスマス→大晦日→お正月と行事食が目白押しの時期に入院だったので色々食べることが出来て、病院に居ながらも気分転換になる食事でした。
行事食.jpg

ベッドの位置も窓側に移動してくださって更に快適に。
大晦日から三が日までは4人部屋も私ひとりになり、カーテンも開けてひとり占め状態。
病院の皆さんには良くして頂き、頭が下がる思いでの入院でした。
退院後は、通院治療となり自宅療養となりました。

2回残っていた抗がん剤治療は今回の肺炎で中止となりました。
更に抗がん剤治療を続けて肺炎で命を落とすリスクが高くなる方が良くないと。
肺炎は急に悪化することもあるとのことでした。

今後の治療は当初の順番とは入れ替えとなりますが今はホルモン治療を始めました。
ホルモン治療は10年続けるそうです。

本来は抗がん剤治療の後に放射線治療の予定でしたが肺炎が完治しないと胸と同時に肺にも照射してしまう為、出来ないそうです。
飲む抗がん剤も考えているとも先生は言われていましたがとにかく肺炎が治らないとそれも出来ないようで・・・とにかく今は肺炎完治しかない。

2月初めに受診して肺炎は肺の白いモヤモヤも無くなって良くなっているとのこと。
現在は飲み薬を徐々に減らしつつ、現状を維持して薬を飲まなくなって一週間後に受診して異常がなければ肺炎治療は終わるようです。
それから放射線治療に入るそうです。

広島はコロナ感染者が今までになく多くなっていて、今の私は感染するわけにいかずでお店をお休みしたままです。高齢の母と同居なのもあります。
ある程度落ち着いたらと考えていますが正直なところ感染意識が人によりかなりの差があって、コロナ禍になってから一番のストレスとなり続けています。
命取りの人が居るってことを配慮してほしいと思うけど・・・この意識の差ってなんなんだろう。
お店でも外でもそう言う言葉や態度を見たり聞いたりしてしまうとしんどくて仕方がない。
もうお店を開ける気持ちもマイナス気味です。
どうしたらこの感情を克服出来るのでしょうか?

最後の抗がん剤治療から2カ月位経ちました。
髪の毛が生え始めました。
今この位です。
IMG_1533.JPG
もう少ししたら高校球児位になるのかしら?
生え始めはむずむず痒かったです。

髪の毛が生えたり、吐気がなくなったり、ゾンビ色だった手足の色が元に戻ってきたり、手足の痺れが減ってきたりするのは身体は楽なのですが抗がん剤が身体から抜けているんだなぁと思うと、もう体の中で薬が戦ってないのだなぁとか相反する感情も芽生えたりします。

抗がん剤治療の事や治療費のことなど今後も書けたらと思っています。

私は元気で過ごしています。
体重も戻りつつなのが嫌なんですけど。






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