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旧広島陸軍被服支廠倉庫(ひふくししょうそうこ) [日々のこと]

1月13日(月・祝)
年が明けたと思っていたら既に13日ですね。
2020年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

オープンを少し遅らせて、旧広島陸軍被服支廠倉庫(ひふくししょうそうこ)建物見学会に参加してきました。
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敷地の外周は現在道路ですが、かつては侵入防止の為の掘削がめぐらせてあったそうです。

昨年の12月に新聞で広島県が1号棟外観保存、2・3号棟解体との記事が出ました。
4棟あるうちの1棟は国の所有で後の3棟が広島県所有と言うのも謎でしたし、広島が被爆を伝えるにあたり被爆建物を守らずして他の誰が守って行くのだろうと疑問だらけでした。
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アーキウォーク広島さんが事前に解説して下さった後に見学出来たので見方が深くなり興味深い内容でした。
■旧陸軍の軍服・軍靴等の貯蔵を目的に1913年に建てられ、広島に現存する旧陸軍関係の遺構としては最大級。
■国内最古級の鉄筋コンクリートであるとともに、レンガとRCの併用という大変珍しい構造。
■欧米からの技術導入で鉄筋コンクリート造にチャレンジしていた頃の建物であり、その歴史的価値が高い。
■窓が左右にスライドする日本的な仕様であり、梁の端部の繰形など手の込んだ仕様。
■爆心地から約2.7kmで倒壊を免れたので被爆直後には負傷者を収容する臨時救護所となったり、学校の教室として使用されたり、広島大学の学生寮などとしても使用。
■日通が倉庫として使用していた時期もあるとのこと。

爆心地から約2.7kmとはいえ熱風に耐え変形した鉄窓などそのままに。
※長年様々に使われてきたのに鉄扉を何かに取り替えたりしなかったのは奇跡的と言うか、今となっては良かったと思いました。
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この建物を見るだけでも伝える力があることを実感しました。
体感の大きさたるや本などで読むことより如何に大きいかを私も実感しました。

確かに広くない道の向かいには民家が並んでいて、住民の方の不安がある気持ちも感じました。
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窓が上げ下げ式ではなく、左右にスライドする日本的な仕様となっているそうです。
戸袋となる隙間がレンガで作られています。

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倉庫と倉庫の間にスペースがあり、塀があるのですが倒壊の危険の為、解体工事が行われていました。
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アーキウォーク広島さんのサイトに「旧広島陸軍被服支廠倉庫」が詳しく掲載されていますので是非一読されてみてください。
http://www.oa-hiroshima.org/buildings/buildings05.html


これまでも解体されている被爆建物は幾つもあります。
今後も安全対策に費用が掛かるから無理と言うような理由などで広島の被爆建物を解体していって大丈夫なのかと思います。
被爆地である広島がその悲惨な歴史を後世に伝えることをしなくて何処がそれを伝え守って行くのかと疑問に思います。
いずれ全ての被爆建物や資料となるモノを壊してしまうのでしょうか。

今の時代、技術も発達していて耐震問題は可能だと思いますが問題はお金なのだとは思います。
日本中、世界中の知恵を出し合って解決しない問題なんて果たしてあるのだろうかとも思います。
壊せば二度と元に戻ることはありません。
映像やCGにして資料として残せば良いと言う意見も今回の広島県の資料にもありましたが実際の建物も残してそういった資料があるのは良いと思いますがやはり実物に変わるモノはないと今回実感しました。



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この写真は現在は入ることの出来ない敷地内側を工事のテントの隙間から見た様子です。

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瓦は「鎬浅瓦」と呼ばれる古いタイプの瓦だそうです(戦前の建物に多い)
当初から天窓はありましたが、戦後に追加で開口部を設けたそうです。

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広島県では1月16日までこの問題について一般の意見を募集するパブリックコメントを実施しています。私も素人ながらの意見・要望をコメントしてみようと思います。
きっと何かしら案はあると思うし逆に無いわけない。
これまでの経緯や調査などの資料も出ているので是非読んでみてください。
※行政 保存・利活用について特段の意見はない。←これどういうこと???
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/13/hihukusisyou.html


ここで広島県と広島市が連携して妙案を出せば、国内外への株も上がるスゴイ大きなチャンスでもあると思います。
勿論、広島県民市民への信頼も上がることでしょう。

100年以上の時と原爆も地震も絶えたこの建物が倒壊するのかとも思いますし、結論を急がず、様々な意見を持ち寄り、ディスカッションする時間が出来ると良いと思います。
どちらの意見であれ、どう感じ思っているかの意思表示的な事でも良いと思いました。
広島に居ながらも知らない事や無関心になってる事も色々あるなと私自身感じています。

白島地図でお世話になっています「広島郷土資料館」の建物も被爆建物です。
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元は「宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場(うじなりくぐんりょうまつししょうかんづめこうじょう)」です。
旧広島陸軍被服支廠倉庫と近いので是非一緒に行かれてみてください。
http://www.cf.city.hiroshima.jp/kyodo/html/00top/topfrm.htm


2月8日にはアーキウォーク広島さんが旧広島陸軍被服支廠倉庫シンポジウムも開催されます。
http://www.oa-hiroshima.org/event/event200111.html



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生ききったひと [日々のこと]

4月19日(金)
お店を始める前に勤めていた会社の専務の訃報が突然届き、お通夜に行ってきました。
最初は何かの間違いだとさえ思いました。
確認していくうちに事実だと分かり、私はお店で泣いてしまいました。
前日も普通に仕事をされて退社されたようです。

私は会社を辞めて10年以上経ちましたが退職した同僚とも今も働いている同僚たちとも何かしら今も繋がっていて時折会ったり話をしたりしています。
そんなこともあり、前の会社のことは何となく絶えず聞こえてきてはいました。

前職の会社は、広島ではきっと珍しい雑貨メーカーでした。
父親が亡くなった後に母と二人、きっちりとかっちり働くために定年まで働けるような家から近い場所を職安で探していた私でしたがある日のこと家近辺のファイルには該当職種がなく、せっかく来たしと言うことでお隣の区域のファイルをめくって見つけた会社でした。

当時、もう地味に生きて行こうと思っていた私には(笑)、広島でそれも自分が好きな雑貨に携われる仕事でデスクワークと言う願ってもない内容。
速攻で申し込みして面接に行きました。
諸々ありましたが最終的に再就職先になりました。

入社当時部署は庶務でしたが少人数の会社だったので色々な職務を兼任していました。
お昼のお弁当の注文も取るけど社内報も作るし、印刷物全般の担当・製作含むだったり、直営店とのやり取りや商品カタログや展示会の案内状や資料作り、会社のパソコンのシステム窓口、ホームページとネットショップ立ち上げや更新担当、通販や広告窓口など様々な何でも屋担当でした。
在職中の後半は直営店が増えたこともあり、庶務から離れて販売推進の販売促進部へと移動となりましたが一人だったので庶務以外の印刷物や商品カタログなどの他の担当はそのまま持って移動でし仕事量は更に増えたような???

当時はもう年がら年中マックスに忙しく、その日中に会社を出ると言うシンデレラ的な変な決め事を作って日々過ごしていたように思います。気力体力が摩耗して一度入院もしました。
この生活があと何年続けられるのかと絶えず考えていたように思いますが好きな雑貨の仕事であり、やりたかった仕事も多々やらせてもらっていたので中々退職するという結論にたどり着くまでに長い時間が必要でした。

前置きがとても長くなりましたが亡くなられた専務は女性です。
入社して分かったのですが私が学生時代に流行っていたお弁当などを入れる巾着袋。
「スタジオにんじん」と言うニンジンのイラストがタグに付いていたのを使われていた方がおられるでしょうか?祇園にショップがあってJR通学の同級生に買ってきてもらっていました。
「スタジオにんじん」が今の株式会社になる前に専務が立ち上げられていたことが入社後に分かり現在に至るということにビックリやら懐かしいやらで当時同級生たちにその事を連絡したものでした。

専務はとにかくエネルギーの塊のような人でした。
細くていらっしゃるのに熱量と圧が半端なくていつも全力投球な人と言う印象です。
在職中には専務と意見を戦わせる事もあったりしました。

段々と体力気力もすり減ってきてあんなに好きだった雑貨がもう楽しくなくなり、雑貨を見ても仕事に結びついてしまいシンドイ時期があったように思います。
最終的に退職することとなりましたが在職中は色々と会社にも不満や思うことがありましたが雑貨店を自分で始めることになり、右も左も分からずなスタートに思えましたがふと考えると何でも屋担当だった私は知らず知らずのうちに浅くとも様々な引出しを持った人にして頂いていたのかもしれません。

これは起業した人にしか分からないかもしれない内側の事かもしれませんが日々様々な決定事項や選択が求められる状況になります。
そんな色んなボールが飛んで来る日々に恐れることなく、合ってないかもしれませんが対処が出来て、立ち向かえる自分にして頂いたのはこの会社に育てて頂いたからだと辞めて初めて気づかされたことでした。
人にお給料を出すことの大変さを全く理解できていなかったなぁと私は猛反省をしたように記憶しています。
なのでどんなに忙しいと思ったとしても私はあの会社員時代と比較するとまだ余力を残しているといつも思っています。
あれ以上に忙しい事はもうないです(笑)。
そう言った意味でも鍛えられた事に感謝します。

今も時折会う元同僚たちとも何故か必ず元居た会社の話に花が咲き、同じ話を毎回のようにしては涙が出るほど笑うのです。
「この話何回話すん?」と言いつつも今となっては笑い話となり、楽しい再会のネタとなっています。
そして「結局私ら文句ばっかり言ってたけど、あの会社が好きなんじゃないん?」とも笑いながら話しています。
とても個性的な人が多かったせいもありますし、仕事が全員ギリギリの状況で忙しくしていたものですから同志のようなそんな気持ち的にも結束力が強かったようにも思います。
沢山の思い出が本当にあります。

入社間もなく社員旅行があり、その時の懐かしい写真がありました。
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社員旅行もスゴク楽しかったのを思い出します。いわゆる宴会の為の社員旅行ではなく、内容が毎回魅力満載なんです。
こんなに当時は社員数は少なかったけれど今はこの何倍の社員数になられたのでしょうか?
数人でされていた小さな雑貨店をここまで大きく会社としても成長させられた事は本当にすごいことだと改めて思っています。
毎朝朝礼をこの少人数で円を作り、伝達事項などして最後に朝礼当番の今日のひとことも懐かしい。
お昼ご飯も休憩ルームで皆でご飯を食べ、3時には集まってお茶したりしていましたね。

亡くなられた専務は私の事を生意気な社員だと思われていたかもしれませんが今となっては聞くこともなりません。
ただ、袋町のお店には社長と専務とで来て下さったこともありました。
結局、雑貨の道を続けている私をどう思われたのでしょうか?

ただプライベートでも会社の経営者としても幾つもの荒波をくぐって来られたことと思います。
お通夜での専務のご主人であり社長の挨拶に「太く生きた人生でした。」と言われた通り、まだまだ年齢は66歳とお若かったけれど人の何倍も濃くて太い人生を生ききり、何事にも全力投球で妥協は許さず全速力で人生を走り抜いた女性だと私も思いました。
もっと年齢を重ねられたとしても生涯現役であったことは間違いないと思います。

直接、言葉にして感謝をお伝えすることが出来ておらず後悔ばかりですが本当にお世話になりました。ありがとうございました。



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桜クルーズ [日々のこと]

4月1日(日)
今日は平和公園から桜クルーズです。
雁木タクシーの雁太郎に乗ります。もう一艇は雁子。



原爆ドームをこの位置から見るの初めてで何だか旅気分。


こちらの原爆ドームそばの雁木は「ブラタモリ」でタモリさんたちが降りた雁木だそうです。


平和公園付近の桜はこの日はまだ満開まではもう一息ふた息と言った感じでしたが陽の当たっていたであろう側はかなり咲いていました。
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寺町辺り、ちょっと私の指入りですみません。
桜が奇麗に咲いていました。


基町アパート沿いの桜。


本川と京橋川の分岐点に残された砂州で、今は様々なサギやカワウの群生地になっています。季節が違うと雰囲気が変わりますね。



白島の工兵橋も桜をバックに奇麗な風景となっています。


白島を過ぎたくらいでしょうか?
広島駅方面に向かう桜は光に当たって見事でした。






縮景園を川辺方向から見るのも初めてでした。
縦に石が組んである物は水門の開閉するものだそうです。



新しくなった猿猴橋は実は初めて見ました。←遅い
何だか橋だけ見るとパリみたいですね!


猿猴橋のふもとにカッパの足跡発見!
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平和公園から白島、広島駅までのコースでしたが30分はあっという間でした。
広島郷土資料館の本田さんが色々と説明して下さりながらの特別クルーズはとても得した気分で楽しかったです。
昨年の「白島さんぽvol.2」で初めて雁木タクシーに乗ったわけですが広島にずっと居ながら広島のことを知らないことが沢山あるものだと今回も又感じました。
知るということは何と楽しきことでしょう!

本当は次回「白島さんぽvol.3」を桜クルーズ予定だったのですが私がモタモタしているうちに雁木タクシーの予約がこの時期多いようでチャーター出来ず・・・。
すみません。
また5月の新緑の季節に雁木タクシーによるクルーズを1時間たっぷりコース企画を広島郷土資料館の本田さんと計画中です。
また詳細決まりましたお知らせ致しますので是非ご参加お待ちしています!
よろしくお願い致します。


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10年ぶりの動物園 [日々のこと]

1月23日(水)
備忘録ブログ。
もう1ヵ月も前ですがこのあまり書かないブログですが後々の役に立つ私の記憶の印。

安佐動物園は家から車なら10分位で行けるのですが近いからか?あまり行っていませんでしたがライオンの赤ちゃんが生まれたとのことで10年ぶり?に行ってみました。
10年前位にも確かライオンの赤ちゃんが生まれて見に行ったと記憶しています。
その前にせっかくなので日浦郵便局へ。
動物園に近くので風景印の図案は安佐動物公園・毛木山・ゾウ・シャクナゲ。
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アニマル模様。
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ライオンの赤ちゃんに直行。
安佐動物園は結構広いんですよね(笑)。
すでに一つ目で息切れ。
平日だったからか?思っていたより人少な目。
でもスゴイ望遠のカメラを構えた方たちが一列に並んで撮影中。
でもその間からゆっくり見ることが出来ました。







ツイッターで見ていたのよりも成長していましたがトビキリの愛らしさ。
猛獣でなければ、単に大きな猫ならば一緒にゴロゴロとしたいものです。
ライオンはネコ科の動物ですがやはり手足の大きさが違いますよね。
肉球さわりたい。
ひとしきり見れたのでせっかくだしグルっと回って帰ることに。

ゾウは小学生のころに写生大会で描いたような記憶。


ケープハイラックスの赤ちゃんが生まれたと動物園のツイッターで見かけて気になっていたのでケープハイラックスのいるところへ。
初めて聞く名前ケープハイラックス。
小さい赤ちゃん結構おられますね。

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ここでも息切れ。カート平日も運行してほしい(笑)。

キリンは牛みたいな食べ方するのですね。

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目が合ってます?
息切れマックスでしたがもう一度ライオンの赤ちゃんを見て、名前の投票して動物園を後にしました。 もう一回くらい見に来たいですねライオンの赤ちゃん。 抱っこ出来たら最高ですが(笑)。
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あけましておめでとうございます。 今年は事件なしです・・・。 [日々のこと]

1月8日(火)
今年も昨年に同様に1月5日(土)がミネットの初売りとなりました。
福袋もご用意しております。
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https://minette72.shop-pro.jp/?pid=69363305

1週間近くお休みしたはずだけど年末は棚卸や掃除やetc・・・であっという間に終わり。
今年も簡易バージョンの棚卸終了。

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年越しそばを食べて、期待していなかった紅白歌合戦も中盤も終わりくらいまでその期待してない通りでいつもは結構最初から最後まで見る人ですが紅白なますを作る始末な私でした。
皆さんもそうかもしれませんがユーミンからが畳みかけるようにジャンプアップ!
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米津 玄師さんは全く知らない方でしたが曲を聴いてみると車のラジオでよく耳にしていた曲でした。
でも何だか不思議の国の方と言う印象でしたね。
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ユーミンの2曲目で会場に入ってきたところでは自分も会場に居るかの如く感激して涙しました。
最後のサザンとユーミンもお祭り感がとても伝わって良かった!
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大体こう言う大御所的な方たちは中継なのに今回はライブでしたものね。
疑問と言えば選ばれていない人たちが一曲丸々歌うのはルール違反なような(笑)。
だから審査員も紹介なしで最後まで誰か分からない女性の方がおられました。
ともあれチラチラ映る佐藤健くんがキラキラしていた審査員席でした。
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年が明けて、とにかくお正月は寝正月の私。
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ご飯も食べなくてもいいくらいの私です。
本当はもっと寝だめしたかった(笑)。

3日・4日は福袋の準備と氏神様で初詣。
今年は久しぶりに三社詣でしました。
地元神社→碇神社→広島護国神社。

こう見るとかなり素朴な地元神社。
子供のころはここでよく遊んでいました。
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碇神社では新しいお札と交通安全のお守りを頂いてきました。
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おみくじは吉。
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広島護国神社はスゴイ長蛇の列におののきましたが思ったより進んで良かったです。
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今更ながら御朱印いただきました。

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鯉みくじは末吉。
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今年の目標と言うのも明確にはありませんが一日一日の積み重ねを過ごした後に何が自分の中に残ったかを知りたいと思っています。
先日のラジオでユーミンの「街角のペシミスト」の歌詞を聞く機会がありました。


不安な明日をダブルで飲み干す
みんな街角のペシミスト

夢の炎 他人(ひと)は消せない
不安な明日を笑いとばしても
みんな街角のペシミスト

ペシミストとは悲観論者と言う意味だそうですが楽天家ではきっとない私なのですが昔の私よりは考え方の振り幅が少し広くなりつつあるので完全なるペシミストからは脱しているかもしれません。

きっと誰もが何かしらの不安を抱えて暮らしているのではないかと思います。
命に関わることでなければ何かしらの解決策がきっとあると信じている私です。
もし何かで失敗や挫折を経験したとして、その時はとても落ち込んだとしてもそれは未来へ繋がる何かであると段々と受け止められるようになったように感じます。
いずれその出来事たちは失敗や挫折から経験値へと変化し、気づかなかった何かに繋がって行くと思っています。

新年早々何だかワードがローテンションのように感じられるかもしれませんがきっと一日一日を積み重ねて過ごしていれば何かしらの未来に繋がって到達することが何かしらあるのではないかと思う次第です。

お店のこともお店を通して別のコミュニケーションや人に繋がったり、楽しいの先に何かを見つけられるような日々を過ごしたいとボンヤリとですが想像しています。

3年日記も2年目。
昨年はかなり白紙状態でしたが(笑)そんなことも気にせず積み重ねて行きたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。




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二度目のマツダスタジアム [日々のこと]

8月22日(水)
帰省中の短大時代と小学校からの同級生と皆初対面の女性と4人でマツダスタジアムに行って来ました。
同級生の二人がカープ浴衣をそれぞれ着ていることで今回初対面。
ひとりはカープ浴衣を3枚持っているらしい。

本日は前回とは逆側?
雨が降るかもと屋根のある席を確保してくれていました。
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ウロウロしていると西田篤史さんに遭遇。
浴衣二人と記念撮影。
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後で年齢を知って驚き! 若いよね~あっちゃんて。ビックリ!

途中でスライリー歩いて来て、靴に注目!!!
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後で友達に今限定ユニフォームを選手が着ているからスライリーも着とったじゃんて言われて…私そこ見てないよ。
だって靴が可愛かったからね。ほらね「C」って入ってるよ。

しばし撮影タイム。
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4人目のみんなと初対面の片が球場に着く時間で友達は迎えに。
その4人目の方は友達とカープ好きのインスタつながりで今回野球に誘って福山から来られたようでした。
私たちはご飯買いに行ったわけですが色々あるから迷っちゃいますね。
暑ったので友達推薦のむさしの氷うどんにしました。
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ビジュアルが正に氷。
でもうどんは見えずでしたが暫く置いたままにしていたにも関わらずこの氷は解けもせず現状維持でした。素晴らしい。
シンプルなうどんながら最後まで冷え冷えでした。
友達の鯉むすびのパッケージがカワイイ。
カープも業者さんも色々考えてるよね~。
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暑かったから持参した飲み物だけでは足りず、球場内で購入。
紙コップもカワイイ。全部カープなんだね。すごいね。
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頼まれていたお面を既に友達は買っていたのを見せて貰いました。
私には誰が誰やらわかりませんが似ているのと似てないのがあるそうです。
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だんだんと日が暮れて空が赤くなってました。
とても綺麗な空でした。
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試合は今回は勝ちました。
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が・・・前回同様に私は試合を真剣に見てないからね点が入った事にも気づかずでカープ大好きな友達にダメ出しされるの巻。
あのね・・・また怒られるかもだけど私はね試合は正直興味ない(笑)。
球場の雰囲気だけでいいのだよ。
なので3対1でカープへの熱量が激的に違うそんな組み合わせでした。

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入口でうちわと石鹸をもらったのですがまだ咳が止まりきってなかった私にはうちわにスプレーされた石鹸の液体の匂いがのどを刺激してしまい最初から最後まで咳止まらすで申し訳なかった・・・。

でも前回同様に感じたのはみんなカープが大好きなんだね。
球場に向かう時もKURODAと入った浴衣を着ていた友達は見知らぬ人から声を掛けられ写真撮られてました。
好きなモノがあるって大事だと思うホント。

そんな夏の思い出でした。
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ネコメンタリー猫も、杓子(しゃくし)も。 [日々のこと]

8月20日(月)
先週と今週2週に渡って放送されたネコメンタリー毎回楽しみにしています。

・「保坂和志とシロちゃん」
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予告編を見た時には飼い猫にしては毛が汚れているなと思っていたけれど外猫さんだったのですね。
でも15年もご飯を食べに来ているのに触らせてくれないなんてシロちゃんつれないな。
保坂さんのシロちゃんを呼ぶ声が何とも優しくて二人の良い関係性を垣間見れたような気もしました。
玄関の所に寝る場所も作ってあって、お天気の悪い日や寒い日はこの中に居て欲しいと言う気持ち痛いほど分かりました。
細かにカレンダーに手描きされたシロちゃんへのご飯の内容。
遠くには出かけられないですね保坂さん。
本は残念ながら読んでいませんが保坂さんのファンになりました。
でも保坂さんのお陰でシロちゃんは15年も生きられている。
だけど15年外で生きていくのは過酷だと思う。
私は猫が大好きだけど嫌いな人がいるのも理解できます。
でも命を奪うような行為をするのは嫌いとは別の事と思っています。
外で暮らす猫だって自分で望んでそう言う環境に居るわけではないのだから。

・「柚月裕子とメルとピノ」
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一昨夜の再放送も見てしまいました。
柚月さんの回は猫たちと言うよりも柚月さんご本人の言葉に吸い寄せられたかもしれません。

「あなたたちは呼んでも来ない。無理やり抱きしめてもするりと腕の中から抜け出していく。寄ってくるのはお腹が空いたり遊んで欲しい時だけ。自由で気高い。どんなときの私にも変わらない瞳でみつめている。」
「自分の存在理由が見当たらず、自己肯定ができず、自分は無価値だと感じ、自分で自分を投げ出しそうになる時でもあなたたちは、私を見捨てない。そんなあなたたちがどれほど救いになっているか、あなたたちにはわからないでしょ。」

「17歳の時に私の中で大きな出来事があって、ずっとそばにいてくれる存在を求めていた。
その頃から笑ったり人に合わせたり苦手だった。自分自身あんまり人と関わらないことになっちゃうのかな?人と関わるとあまり楽しいことなかったからかな?」

「世の中、不条理・不公平・理不尽の塊ですから。だからきっと小説の上ではフェアなものを描きたいと思っちゃうのではないでしょうか。」

「喜び、つらさ、悲しみを表に出せるのが小説。だから書けなくなったら、私という存在でいられなくなる。」

私も小学高学年辺りから人づきあいがとても苦手な時期が長く続きました。
自分から何かをして否定されると面倒だし怖いからなるべく静かにしていたように思います。
石になりたいと思っていたころ。(笑) ある意味、暗黒時代?
それを表面に出していたかどうかはわかりませんけど・・・。

若い頃はやはり生きている範囲が狭いから苦手な人とも付き合わざるを得なかったし、さけて交わして通るすべを知らなかったからしんどかった。
社会に出たら今度は世の中、柚月の言われる不条理・不公平・理不尽の塊に当たりまくりで煮え湯も何度も飲み込みました(笑)。
今は笑い話だけど当時はかなり私の変な正義感がそれを許せなかった時期もあったように思います。
もっと器用に適当に生きれたら楽だなとも思っていました。
でも今は何故だか人と関わらなくてはやっていけない状況にいますので人生摩訶不思議が巡るのだと思っています。
大人になった今はそう言う苦手なモノや人から関わらないように交わすすべを会得したのでしょうか?
なので昔よりは楽になれたような気がします。
だけど私は自分の事を苦手と思っていたり、見下ろしている人を多分スゴク敏感に察知します。
表面的にそんな態度を取っていないようにされても察知してしまいます。
俯瞰からその人をもうひとりの私が宙に浮いてその相手を見てしまいます。(笑)
要は生きるのが不器用なのでしょう。

昨年、放送されたネコメンタリーの特別編。
ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。特別編「村山由佳ともみじ 軽井沢の日々よ 永遠なれ」(仮)。
何故かBSで放送・・・見れないし。
これは昨年予告編から号泣したのを覚えています。
映像も音楽も構成も素晴らしかった。猫の映し方を心得ておられる方だと思いました。
そして子供の頃から猫がずっと家に居た私のネコ人生の中でも、もみじさんは今までに会ったことない最高に愛くるしい猫さまです。
こんなカワイイ猫います???
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もみじさんは、とうとう17歳で天国に行かれましたが昨年放送の短編書下ろしのタイトルのように「いつか同じ場所」で私もうちの猫とも会えるといいなぁと思っています。



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内館牧子さんのことば [日々のこと]

6月3日(日)
数日前の朝の情報番組にゲストとして脚本家の内館牧子さんが出演されていました。
内館さんのコメントは今までも心底ついてる・・・と地味にパンチされる感じで発せられる言葉たちは気になる存在でした。
お店に遅刻しちゃうので残念ながら最後までは見れなかったけれど、今回も大きくうなずく言葉たちがあったので備忘録としてこのブログに記しておきたいと思います。

内館牧子の小説「終わった人」が映画化されるとのこと。
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「定年って生前葬だな…」衝撃的な書き出しもいきなり!って感じですが私も同級生の男性たちに時々聞いたり話したりするのですが長年家族を支えたご主人だけど急に朝から晩まで家に居るとなると多分奥さんしんどいわ・・・と。
何か自分ひとりで過ごせる時間を今から趣味でも何でもいいけど持ってる???って聞くと、持ってないと答える同級生たち(笑)。
持っている人もいます。
きっと奥さんは感謝しているけど長年の生活サイクルが定年で変わるわけよお互い。
ご飯の用意も増えるし奥さんの一人の自由になる時間が無くなる気がする。
私が言うなよ!って感じたけど何となく想像するとそんな気がする。

番組内で質問に答える内館さんの話の中で下記のコメントに何だか内館牧子さん納得と言うかしてしまったわけです。

◆会社員は定年があるけれどフリーランスはない。だけど世の中から要らないと言われたら終わり。

◆60歳で一旦リセット。 着地点は一緒。 いい大学行った人もエリートもエリートから外れた人も綺麗綺麗と言われた人もそうでない人も一律に同じところに並ぶ。・
元エリートに今何してるの?って聞いたらこたつに入ってる、と

◆何があっても、面白がってしまいなさいよ。どんなことも楽しんで積極的に挑めば、きっと良い結果になります。

◆人生8勝7敗でいい。負け越しても来場所がある。

私も会社員じゃなくなったから定年はなくなったけど内館牧子さんが言われるように世の中から要らないと言われたら終わり。
その感覚はお店を始めてとても感じている事のひとつです。

ある程度の年齢になるときっと横並びになる感じはなんとなく想像出来ている気がします。
ここ数年で同窓会が幾つもあったせいもあるけれど、みんなそれぞれ良いことも辛いこともそれなりにあって今があると言った感覚を同級生たちに感じたから。
全員ではないけれど人の痛みが相手の立場になって考えられるような想像できるような年齢になったのかなぁ。
でもそれは年齢を重ねる事の良い部分だと感じていて、学生時代には思いもしなかった皆の大人な感じが居心地よかったりします。

人生8勝7敗でいいと言う言葉も確かにそんなに勝つことだけに集中しちゃうと辛いよねとも。
どうしても良いことが沢山あることを知らず知らずに望んでしまうものだからかな?
負け越すことだってそれはあるよねと思うし、来場所があると思えば気も楽になるなとか感じた次第です。

今日メールである方に私が送信した言葉。
「人と比べず、隙間で生きていく感じが理想です。」

中々難しいけれどそんな感覚で過ごしていきたいと常日頃から思っている私です。
でもこれが案外とむつかしいですね。






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あけましておめでとうございます。 そして事件です・・・。 [日々のこと]

1月6日(土)
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
今年も昨年に引き続き1月5日が初売りとなりました。
「福袋」ですが昨年すぐに完売したので今年は調子に乗ってイッパイつくりましたので是非ご協力くださいませ。
結構大きな手提げ袋に入れてます。
今日ご来店のお客様にも「こんなに大きいとは思ってなかった。」と。
15.000円相当の文房具・雑貨が入っていますよ。
★ネットショップでもお買い求め頂けます。
http://minette72.shop-pro.jp/?pid=69363305
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年末はお店の棚卸と福袋づくり、そしてオマケ程度の掃除となりました。
やはり一度に何もかもやるのは無理と分かりつつも掃除って最後の最後のホコリを掃除して新年を迎えたいと言う気持ちの私です。

歌番組も少なくなった昨今ですが年末は歌番組が割と続くシーズン。
レコード大賞ではピンクレディと荻野目ちゃんと登美丘高校ダンス部のダンシングヒーローに盛り上がった私でした。
2組とも流石すぎて感動しちゃいました私。

そして紅白歌合戦につづく。
最初から最後まで全部見たい私は年越しそばも早めに食べて準備万端スタイルで毎年臨みます!
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例年通り、ツイッターでのチャット的感想などを四国の方たち含め呟きあうと言う楽しい見方で楽しいひと時でした。
昔は演歌とか要らないと思っていたけれど今は「これぞ!紅白歌合戦!」と聞き入ります。

そして「2355・0655 年越しをご一緒にスペシャル」つづく。
今年のたなくじは「ジャンプ大吉!」
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そして年明け、今年の三が日もその後も良いお天気で雪も降らずの穏やかな年明けとなりましたね。
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お雑煮も食べて炬燵でゴロゴロ。
冬は炬燵に入ったヤドカリ状態の私です。
その後、年始ゆっくりとした気持ちになれない出来事が・・・。
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鍵が丸ごと無くなっていたことに元旦気づく・・・。
家の鍵・お店の鍵・車の鍵・自転車の鍵・納屋の鍵の5種類。
でもどこかにきっと置いてあるに違いないと探すもどこにもない・・・元旦と2日も探すももう探すところなし・・・。
気分を変えて夕ご飯の買い出しに出かけたところ母から電話あり。(車のスペアキーはあった。)
「泥棒が入ったんよ!」と・・・そして警察が家に向かっていると。
通帳と現金が見当たらないと母からの電話では言っているものの、随分と前にも同じように無い無い!と大騒ぎして結局あったと言う事があった私は「もう一回落ち着いて探してみて」と言って家に向かう。

その後、警察の方が来られたのだけど4人も!!!
事情を母と私にそれぞれの警察官の方がメモをとりながらの聞き取り。
でもこの時感じたのは、「それは何時ごろですか?」との問いにハッキリと時間が分からなかったところもあったこと。
そこで勝手な妄想だけど取調室で事情聴取された時に曖昧な供述をしてしまう可能性がありそう・・・と思ったこと。冤罪・・・汗
同時に2人の警察官の方は室内に犯人の足跡がないか暗くして調査中。
足にビニール被せて・・・事件の様相(汗)。
その後、「足跡はないようです。台所の貴重品が無くなっていないのに奥の部屋にピンポイントに行くと言うのは少し考えにくい。」と。
私:「土足じゃなくても見えるんですか???」
警察:「ソックスで歩いてもわかります。」
警察の方曰く、空き巣に入る時は慌てているから土足が多い、下調べをして来る空き巣は靴を脱ぐこともあるが逃げづらいのであまり考え難いとのこと。

私:「もう一度探してみます。」
弟:「でも母は無いと言っているんでないんだと思います。」←私ゼッタイあると思っていたので一言弟に言いたかったけど警察の方の手前黙る。
一通り聞き取りも終わり、「一度落ち着いて探されてみたり、ここ数日の事を思い出してみてください。」と言われ帰られることに。
そして帰り際に「何か変な物音などが聞こえたら、こんな事で警察に電話してもいいのかな?とか思わずに直ぐに110番してください。」と優しいお言葉も残して帰られました。
警察の方って優しいと感じた次第です。

その後、弟が母から再度聞き取り。すでに警察に話した内容と異なる・・・。
私は絶対どこかにあると踏んでいたので早々に母の部屋に行き捜索。
そしてすぐに発見!
母は大笑い。弟はㇺッ!として警察に謝りの電話。
だから慌てて警察に電話しちゃあいけないんだよ!と私は今回も思った次第です。
その後、自宅にも警察から電話あり、私は平謝り・・・。
その時も「いやいや、見つかって良かったですね。」と神対応。
鍵の紛失届のみ届けるも・・・翌日不思議な場所から鍵は発見。
どこにあったと思います???
なぜか燃えないゴミのごみ袋の底にありました。
私なのか??? 100%はぬぐえない自分への不信感。
袋町のお店の鍵も無いと思っていたらお店の冷蔵庫の冷凍室にあった経験ありの為。
何故そこにあったのかは謎に包まれていますがこの2日間のモヤモヤがスッキリ。
でもその2日間は何も出来ず探し物に費やしたガックリな年初めでした。

鍵も見つかってスッキリした気持ちで氏神様のところへ新しいお札を頂きに行って来ました。
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おみくじは大吉!
商売は相変わらずの様相。
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色々食べても最後はこれがご馳走だったりします私。
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本年もどうぞよろしくお願いいたします。



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稲垣えみ子さんトークショー [日々のこと]

8月24日(金)
ちょっとブログが前後していますが私の覚書として。

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何度かテレビでお見掛けしていた稲垣えみ子さん。
たまたま見つけた広島でのトークショー。まだ募集中だったのですぐに申し込み。
トークショーや読んだ本の中で取り留めもなく箇条書き。

・電気は無いものとしての生活を始めたので自分の世界には電気がないと言う設定なのでエレベーターやエスカレーターは使わない。
・部屋に帰ったら照明はつけず目が慣れるのを玄関で待つ。目が慣れると案外見えてくる。
・電気がないことで使っていなかった脳みそを使い「工夫をする」と言う眠っていた機能が動き始めた。
・電気やガスを無くしたことで街全体が家みたいになっている。
お風呂は銭湯。冷蔵庫は街のスーパーやコンビニ。本はブックカフェで読むなど。常連になるので貰いものまで頂くポジションに。
街の大きな家を維持するためにはお店に元気でいてもらわないといけない。せっせと通う。親しく声をかける。
自分にとって大切なものを提供してくれるひと(店)にはむしろ多めに払うくらいの気持ちが丁度いいんじゃないか。応援券として使う。自分だけじゃなく、相手にもトクをしてもらう。
・暑さは観察するしかない。蚊の羽根で涼しさを感じてしまった。
・寒さはこんにゃくで暖を取っている。もう2シーズン目を迎えるこんにゃくは腐らない。
・苦手な人が居たら観察して何かひとつくらい良いところがあるのを見つける。
・小さな幸せは結構ある。
・やりたいことは旅行。
・将来の目標はない。
・豊かさとは様々。
・欲が小さくなると生きることの可能性が増えてくる。
・電気を使わないことで豊かな世界が広がる。電化製品などを無くしたことで自分の新たな才能を見つけられた。家事が嫌いだったのに好きになった。
便利は人を退化させ、不便は人を進化させる。
・無くすことは怖いことではない。
・生きていくためには沢山のモノを持つことが必要だと思っていたが実は足りていた。余っていた。思い込みから解き放たれた。
・冷蔵庫を捨てたことで保存が出来なくなり、単純な料理になっていった。保存できないから野菜は冷蔵庫に入れていたのを干すという形に変えた。
その結果、毎日同じようなモノばかりを食べるようになった。
一汁三菜的な江戸時代のような食事。
でも物足りなくもないし惨めでもない。むしろ毎日食べても飽きない。体調も良い。
・洗濯機を捨てたらタオルや下着の量も減った。手で洗うので大量のモノが洗えないから自ずとその日の汚れ物はその日に洗うようになった。結果ストックを持つ必要がなくなった。
・人生とは至る所に素晴らしい冒険のタネが潜んでいるのだ。
・世の中は自分の思うようには進まない。頑張っても物事がうまく運ぶとは限らないし、うまく運んだところで自分の望むような評価が得られるとは限らない。
・人の悩みのほとんどは、過ぎ去った過去を悔いたり、まだ来ぬ未来を思って心配したり悩んだりすることそのものにある。
・失うことをだけをやみくもに恐れるようになる。それが今の世の中における「不安」の正体ではないのか。
・我々が恐れるべきなのは、収入が減る事よりも、自分自身の欲そのものである。暴走し、もはや自分でもコントロールできなくなったぼんやりとした欲望。
・欲がなくなることで自分が生きていくために本当に必要なことのあまりの小ささに思い知らされ、この程度のちょっとしたモノで生きていけるのだと思ったら不安がなくなった。
・可能性を閉じて生きてみる。その可能性にかけてみようと思っているのである。
・上を見て生きることは素晴らしい。でもそのことだけが素晴らしいわけじゃない。ずっと上を見て生きてきたんだから、ここで違う方向へ乗り出してみるって、なかなか楽しいことなんじゃないか。
・本当の自由とは、その思い込みを脱すること。すなわち「なくてもやっていける」自分を発見すること。もう何も追いかけなくてもいいんだと知ること。
・「もう自分を大きく見せることは出来ない。でもそれでいいんじゃないかと。必要以上に自分を大きく見せなくたっていいんじゃないかと。」
「これまでずっと、それをみじめなこと、さみしいことなんだと思っていた。言い換えれば、私は私の寂しさを覆い隠す為にみじめな自分をみじめじゃない存在にする為に身の回りの様々なものたちで覆い固めて膨らませていたのかもしれません。」 
すでに自分には十分足りていたということ。


稲垣さんが電気のない生活が出来そうな人?とトークショーの初めと終わりに問いかけられました。
私は何だか出来そうな気がしたので手を上げました。

そこで私が必要と思う家電。
・洗濯機・電気式毛布・照明・扇風機
エアコンは元々あまり家では使わない。
家にエアコンを付けたのは割と結構な大人になってから。あってもほとんど付けない(笑)。
田舎であるということも言える。
電気代といえばお店の電気代をどう減らすかを考えているかもしれません。
でも多分フル営業の割には低いかも???
毎月の電気代の請求書が楽しみ。


お店を始める前の私は「いつもまだまだ私には何かが足りない。」と強迫観念に駆られていました。
私も会社を辞めてある意味ミニマムに生きることを始めたひとりです。
会社員時代のような毎月の安定したお給料もなければ保証もない。
対価が小さくても別の豊かなものに価値を見つけて生きていくということ。
お店を始めるときに思ったのは持っているお金は減るし、増えることもないかな? でも見えていたのはお金では買えない人やモノとつながる事での豊かな世界でした。
この歳でこんな状況もどうなのか?とも半面思いましたが逆に楽しんでやろう!位の気持ちだったように思います。
ただ現実はそんなに小説のようには行きません(笑)。だんだんと気持ちがしぼんでいくこともあります。

トークショーの最後に本にサインをして頂いたのですがそこに書かれていたのは、「人生はこわくないの一言。
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私はお店を始めたころには同じことを感じていたのに何かがまた不安になってきているのでしょうか?
そんな問いかけを稲垣さんにしたところ、「それはきっとお店というモノを持ったからかもしれませんね。」と。
このお店を維持しなくちゃいけないとか、守らなきゃとかお店が持ち物になってしまっている。
目的がすり替わってきているのでしょうか?
「でもそれイイことだと思います。お店をすること。」と言って頂きました。

生きていると色んな波がやって来ます。
きっと今の私はその順番に寄せてくる波間にいるのでしょう。
上がることもあれば下がることもある。生きていれば必ずやってくる波の繰り返し。
「ある」シアワセもあるけど「ない」シアワセもある。
無くすことで別の世界が現れるということ。
そっかそっかと会場を後にした私です。

稲垣さんと私の共通した点を勝手に感じていた私。
だけど稲垣さんのように無職になっても執筆依頼や講演依頼やテレビ出演依頼が私に来るわけではない(笑)。
ここら辺がむつかしい点なのだけど稲垣さんは選ばれし人なのかもしれません。
でも私の選択した人生も中々悪くないと感ずる次第です。

稲垣えみ子さんは自然体の方でした。
もっと色々とお話してみたい方でした。
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