SSブログ

旧広島陸軍被服支廠倉庫(ひふくししょうそうこ) [日々のこと]

1月13日(月・祝)
年が明けたと思っていたら既に13日ですね。
2020年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

オープンを少し遅らせて、旧広島陸軍被服支廠倉庫(ひふくししょうそうこ)建物見学会に参加してきました。
IMG_7707.jpg
IMG_7719.jpg
敷地の外周は現在道路ですが、かつては侵入防止の為の掘削がめぐらせてあったそうです。

昨年の12月に新聞で広島県が1号棟外観保存、2・3号棟解体との記事が出ました。
4棟あるうちの1棟は国の所有で後の3棟が広島県所有と言うのも謎でしたし、広島が被爆を伝えるにあたり被爆建物を守らずして他の誰が守って行くのだろうと疑問だらけでした。
中国新聞.jpg

アーキウォーク広島さんが事前に解説して下さった後に見学出来たので見方が深くなり興味深い内容でした。
■旧陸軍の軍服・軍靴等の貯蔵を目的に1913年に建てられ、広島に現存する旧陸軍関係の遺構としては最大級。
■国内最古級の鉄筋コンクリートであるとともに、レンガとRCの併用という大変珍しい構造。
■欧米からの技術導入で鉄筋コンクリート造にチャレンジしていた頃の建物であり、その歴史的価値が高い。
■窓が左右にスライドする日本的な仕様であり、梁の端部の繰形など手の込んだ仕様。
■爆心地から約2.7kmで倒壊を免れたので被爆直後には負傷者を収容する臨時救護所となったり、学校の教室として使用されたり、広島大学の学生寮などとしても使用。
■日通が倉庫として使用していた時期もあるとのこと。

爆心地から約2.7kmとはいえ熱風に耐え変形した鉄窓などそのままに。
※長年様々に使われてきたのに鉄扉を何かに取り替えたりしなかったのは奇跡的と言うか、今となっては良かったと思いました。
IMG_7760.jpg

この建物を見るだけでも伝える力があることを実感しました。
体感の大きさたるや本などで読むことより如何に大きいかを私も実感しました。

確かに広くない道の向かいには民家が並んでいて、住民の方の不安がある気持ちも感じました。
SCAW9564.jpg

IMG_7734.jpg
窓が上げ下げ式ではなく、左右にスライドする日本的な仕様となっているそうです。
戸袋となる隙間がレンガで作られています。

IMG_7755.jpg
IMG_7756.jpg

倉庫と倉庫の間にスペースがあり、塀があるのですが倒壊の危険の為、解体工事が行われていました。
IMG_7672.jpg

アーキウォーク広島さんのサイトに「旧広島陸軍被服支廠倉庫」が詳しく掲載されていますので是非一読されてみてください。
http://www.oa-hiroshima.org/buildings/buildings05.html


これまでも解体されている被爆建物は幾つもあります。
今後も安全対策に費用が掛かるから無理と言うような理由などで広島の被爆建物を解体していって大丈夫なのかと思います。
被爆地である広島がその悲惨な歴史を後世に伝えることをしなくて何処がそれを伝え守って行くのかと疑問に思います。
いずれ全ての被爆建物や資料となるモノを壊してしまうのでしょうか。

今の時代、技術も発達していて耐震問題は可能だと思いますが問題はお金なのだとは思います。
日本中、世界中の知恵を出し合って解決しない問題なんて果たしてあるのだろうかとも思います。
壊せば二度と元に戻ることはありません。
映像やCGにして資料として残せば良いと言う意見も今回の広島県の資料にもありましたが実際の建物も残してそういった資料があるのは良いと思いますがやはり実物に変わるモノはないと今回実感しました。



IMG_7714.jpg
この写真は現在は入ることの出来ない敷地内側を工事のテントの隙間から見た様子です。

IMG_7771.jpg
IMG_7772.jpg
IMG_7700.jpg
IMG_7699.jpg
IMG_7698.jpg
IMG_7703.jpg
瓦は「鎬浅瓦」と呼ばれる古いタイプの瓦だそうです(戦前の建物に多い)
当初から天窓はありましたが、戦後に追加で開口部を設けたそうです。

IMG_7658.jpg
IMG_7766.jpg
IMG_7655.jpg
IMG_7653.jpg

広島県では1月16日までこの問題について一般の意見を募集するパブリックコメントを実施しています。私も素人ながらの意見・要望をコメントしてみようと思います。
きっと何かしら案はあると思うし逆に無いわけない。
これまでの経緯や調査などの資料も出ているので是非読んでみてください。
※行政 保存・利活用について特段の意見はない。←これどういうこと???
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/13/hihukusisyou.html


ここで広島県と広島市が連携して妙案を出せば、国内外への株も上がるスゴイ大きなチャンスでもあると思います。
勿論、広島県民市民への信頼も上がることでしょう。

100年以上の時と原爆も地震も絶えたこの建物が倒壊するのかとも思いますし、結論を急がず、様々な意見を持ち寄り、ディスカッションする時間が出来ると良いと思います。
どちらの意見であれ、どう感じ思っているかの意思表示的な事でも良いと思いました。
広島に居ながらも知らない事や無関心になってる事も色々あるなと私自身感じています。

白島地図でお世話になっています「広島郷土資料館」の建物も被爆建物です。
tatemon.jpg
元は「宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場(うじなりくぐんりょうまつししょうかんづめこうじょう)」です。
旧広島陸軍被服支廠倉庫と近いので是非一緒に行かれてみてください。
http://www.cf.city.hiroshima.jp/kyodo/html/00top/topfrm.htm


2月8日にはアーキウォーク広島さんが旧広島陸軍被服支廠倉庫シンポジウムも開催されます。
http://www.oa-hiroshima.org/event/event200111.html



nice!(0)  コメント(1) 

nice! 0

コメント 1

内平啓二

はじめまして。
旧陸軍被服支廠の4号棟(南側に残る棟)が広島大学薫風寮だった頃(1995年3月廃寮?)、1980~1983年の4年間、寮生でした。当時は暗くボロボロの建物で、寮生自身、とても人が住むところじゃないよなあと思ってました。当時30~40人が暮らしていたでしょうか。
耐震性に難ありとのこと。レプリカ保存も止むなしかとも思いますが、全棟残して欲しいものですね。

by 内平啓二 (2020-08-17 21:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント